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水曜日, 7月 23, 2008

代表は趣味か

日本代表は趣味か?自分の日本代表を応援する気持ちは複雑である。それぞれの選手は応援したいし、頑張りは素晴らしいと思う。与えられた環境での結果も賞賛されるべきものだし、自分は到底達することの出来なかったことである。かといって、日本代表の方向性や結果に対しては非常に不満があるし、この状況では応援をしたくないと思う。
おそらく、現在の日本代表の大半は趣味でオリエンテーリングに取り組んでいる。個人個人としてはそれで文句言われる筋合いはないし、趣味において世界で戦っているのはすばらしいことである。しかし、日本代表がそれでいいのだろうか?立ち上がったばかりの組織ならともかく、日本代表が世界選手権で走り始めてから30年間以上だろうか、状況が変わらないのである。いつまでたっても選手は趣味で走っている、そして結果も趣味に見合う結果-つまり決勝に出ることさえもままならない。
たとえば、陸上を趣味にしている人がいる。友人であれば、その彼がボストンマラソンに出れることになった、といえば、応援し、遠征費の援助もするかもしれない。でも、友人でなければ、応援も援助もしないだろう。彼がレースで自己ベストを更新した。素晴らしい結果である。友人であれば、おめでとうと、喜び、来年も頑張れという。残念な結果だったら、一緒に悲しみ、来年への対策を考えるかもしれない。でも、友人でなければ、たとえボストンマラソンに出ている日本人が彼一人であろうと、「あ、そう」で終わってしまう。
これが、日本代表という看板を背負っただけで、全く世界が変わる。日本代表になり、オリンピックで走れば、知っている人も知らない人も彼を応援し、失敗すれば、彼を野次るなり、勝手な意見を言うなり、もしくは一緒に来年に向けて対策を考える。

今のオリエンテーリングの日本代表は、趣味の範囲を超えていない。だから毎年同じような結果でも「満足したレースだった」とか、「次回につながるレースであった」とか、「楽しめた」とか、「実力を発揮できた」と言うことができる。そして、日本代表を送り出す日本オリエンテーリング協会も、応援する人たちも特段毎年の変わらない結果に対して批判じみたことはほとんど言わない。自分達の代表でないから、無関心なのである。
友人という範疇では、趣味で活躍する彼らを応援したい、結果を称えたい。一方、日本代表に対しては、まだ無関心になりたくない。だから、文句を言いたくなる。でも仮に今の友人達が代表でなくなったら、無関心でなくいられるだろうか?