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土曜日, 1月 13, 2007

市民ランナーへの期待

オリエンテーリング界の世界での競争力不足の大きな問題は期待の不一致ではなかろうか。
おそらく一般的なオリエンティアの日本代表へ抱く期待は、世界選手権をはじめとした世界の競技会での活躍だと思われる。何を持って活躍と考えるか。どの基準で活躍を考えるか、で大きく違う。たとえば、日本代表を個人的に知っており、且つ日本のオリエンテーリング界と世界のオリエンテーリングの現状に詳しい人。こういう人たちが基準にする活躍は、おそらくそういった知識の上、現実的な期待を元にするだろう。従って、決勝進出でもそれなりの成果だと思えるし、ましてや、個人で20位台とか、リレーで10位とかだったら狂喜乱舞するかもしれない。実際、女子−男子より世界的にも層が薄く世界選手権のような国別になると上位に行きやすい−の日本での順位、番場のここ最近の成果は特にこの層の人たちに高く評価されていると思う。
ところが、さほど詳しくない人、それほど関心のないオリエンティアたち。おそらく、知識のある人たちから「それはすごいことなんだ」と言われない限り、そのレベルの結果はたいして印象を持たないだろう。特段日本代表が活躍しているように思えないかもしれない。たとえば、我々がオリンピックや世界選手権を見て、日本の男子マラソンはなんか弱いなー、と言っているのと似ている。それなりに入賞等はしているのにである。

その競技において、どちらの層の人たちが多いかと言うと当然後者である。前者はある意味、内輪の人たちである。内輪の人たちは、その頑張っている個人が与えられた環境のもとすばらしい結果を出している事を適切に評価するだけの情報がある。内輪じゃない人たちは客観的な順位という結果でしか評価できない。

このような状況は、現在の日本代表が大半が市民ランナーである、と考えると分かりやすい。市民ランナーの評価基準はその人が競技以外の部分を考慮して行われる。つまり、この人は普通に働いていて(しかも毎晩あんな時間まで!)でありながらフルマラソンを2時間20分で走る。すごい!となるわけである。しかし、その人が世界選手権に出たとして(たまたま選考会で勝ってしまった!)その結果であっても、その人個人を知っている人は高く評価しても、マスコミからは袋だたきにあうだろう−無視されなければ。

もちろん、その市民ランナーが世界選手権で優勝なり入賞なりできれば誰も文句言わないだろう。が、当然現在の世界のマラソンシーンでは市民ランナーがそのような結果を出すのは、不可能に等しいのではないだろうか。オリエンテーリングでも、陸上ほどとはいわないが、市民ランナーでは世界のトップレベルにいけない状況になっているのではなかろうか。

このような状況で強化部がとる方針は明らかである。市民ランナーのレベルアップよりも、セミプロ/プロもしくはそれに近いコミットメントをする選手の育成である。幸い、女子のトップ選手はセミプロの道を歩みはじめており、男子でも検討している/それに近づいている選手がいる。何よりも不幸なのは、自分のできる範囲でのベストを目指す市民ランナーに、国を代表する者に向けられる客観的な結果の期待を負わせることだ。