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火曜日, 4月 27, 2010

こーしさん

こーしさんの昔の文章を見つけた。
最近の議論沸騰の中、なかなか面白い。

で、具体的には、国沢君の書いている「複雑な意味でのスピード(p63)」「思考と行動の流れ(p63)」それらの「統合(p64)」「集中力(p64)」「ナビゲーションコントロール(p64)」などのキーワードを、おそらくは僕の原稿はようやく、一歩踏み込んで言葉にしたもののような気がします。64ページの言葉3つについては、これは相当前からOLPの機関紙に発表したりしてましたが(HPにはまだない)、残りの「複雑な意味でのスピード(p63)」「思考と行動の流れ(p63)」、特に後者については、今回、やっと、言葉になったところです。遅々たる歩みですねえ、けど、ないよりはましかな。まあ、とりあえずは、こういう形での継承を、誰かがさらに生かしていっていただければなと思っています。

ここで、国沢さんが書いていたことは具体的にはどんなことだっただろうか?再度公開していただけると参考になります。今話をしていることとあまり変わらないとは思いますが。

それから10年後、こーしさんの考えは継承されていったのだろうか?おそらく、善徳や小泉といった筑波勢は非常に大きく影響されたものと考えられる。

しかし、こう振返って見ると、なぜ?と思ってしまう。

山岸、村越、鹿島田、松澤、高橋、山口、加藤。。。。それぞれの優れた技術に対する視点や理論があり、その実践があり、努力があり。。。オリエンテーリングの技術理論的なところでも、村越さんももちろん、国沢さん、こーしさん。外国人コーチのイーキスが来て、世界のトップのペター、ビョルナーも来て。あのとき我々は、「そうか、世界でやっていることも同じだ、我々は間違っていない」。そう言ったのではかったか?

しかし、世界の相対位置として、杉山を越えたと言えるのだろうか?

なぜ?

今の新たなスタート(そのように見える)に希望を捨てる訳ではない。しかし、振返って見ると、鹿島田が「村越並」となり入江が現れ、日本が新たなステージに行けると思った19990年中ごろ。海外が近くなり、海外のテレインへのおそれもなくなり、ペーター、ビョルナーを招き、正しい道を歩んでいる、そう思えた2000年前後。愛知世界選手権に向けて着実な進みを実感できた2000年前半。

越えたと思えたいくつかの壁の向こうは更なる斜面が続いていき、頂点は遥か向こう。振返って見ると、そんな気持ちになってしまう。

いや、そんなことはない。我々、一人ひとりやってきたことは、それぞれ日本が強くなるために意味があったんだ。今「近代オリエンテーリング」の話が出来るのは、昔のやってきたことがあるからだ。昔の選手達、コーチ達、運営者達、応援している人たち、それぞれ何かしら貢献しているんだ。今の選手達も、どこまでいくのか分からないが、そのたどり着いた地点から、また次の世代が頂点を目指してくれるはずだ。

そう信じているから、オリエンテーリングの強化にまた取り組みたい気持ちが生まれきたんだと思う。

そして、どういう形であろうが、こーしさんのように、継承され、誰かがさらに生かしていってもらえればと願う。

火曜日, 4月 20, 2010

高速ナビゲーションと簡単なコース

きつねさんのブログを荒らすのも悪いので、こちらで追加説明しておこうかと思う。



それはより簡単なコースを選択することに鍵があると思う。

捕捉点が3つある。

1.難しすぎるコース:そのコース(たとえばM18A)が求めているスキル(たとえばハンドレールがない区間のオリエンテーリングや走りながらの地図読み)をちゃんと習得してなければ、そのコースに出ても、高速ナビゲーションは出来ない。むしろちゃんとまわってくることが目的化していまい、丁寧なナビゲーションこそが大事、という意識が植付けられる。

2.ナビゲーションだけで勝てないコース:そのコースが求めているスキルが全て揃っている人ばかりが走るコースで勝とうとした場合(たとえばM18B)。ミスなく回ってくるだけでは勝てないし上位にいけない。高速でナビゲーションを行うことは必須となる。且つ、速く走れるようトレーニングしないと勝てないだろう。

3.面白くないコース:ただし、迷わないコース(つまり簡単)にしか出ていなければ、ナビゲーションそのものに楽しみを感じる人は当然オリエンテーリングは面白くなくなる。


さて、この考え方はikuniさんの

僕が言っているのは、単なるスピードではなく「複雑な意味での速さ」であり、複雑な地形の中とかであっても、スピードを落とさず、自信を持って速く走ることのできる能力のことを指しているんだと思う。

という考え方と全く矛盾しないと思う。高速ナビゲーションは動詞であって能力の度合いを言っている訳ではないと思う。極端な話、本当に初心者を除き、やろうと思えばどんなオリエンテーリングのレベルであっても高速ナビゲーション、「複雑な地形の中とかでもあっても、スピードを落とさず、自信を持って速く走る」、ことは出来る。もちろん「複雑な地形」は、オリエンテーリングのスキルレベルによって異なり、Bレベルのスキルしかない人はBレベルのコースでしか高速ナビゲーションはできないし、Aレベルの人はAレベルのコースでしか高速ナビゲーションできない。


ところで、ここで一つ提議したいのは、ナビゲーションは手段に過ぎないということだ。結果が(つまり全てのコントロールを通過してのスタートからゴールのタイム)良ければなんだって良いのである。

ただし世界のトップレベルが実践している以上、世界で勝負するためには、高速ナビゲーションは必須である。もちろん高速ナビゲーションとしても、それを補う体力・走力・精神力など他の要素があればいいのだが、それがある選手は今の日本にはいない。

一方、高速ナビゲーションにあまり価値がない場合だってある。一つのミスによる結果への影響度が非常に大きければ、ナビゲーションが高速であることの価値は少なく、ゆっくりでも精度が高いことだけに価値がある。

日本における尾根沢・急斜面のオリエンテーリングがそうである。

ナビゲーションが簡単な区間(道があり分岐も少ない尾根線)とミスに対する罰則が非常に大きいコントロール(道から見えないやぶい急斜面の沢の下へのアタック)が多い日本では、高速に走ることと、ゆっくり丁寧のナビゲーションに価値がある。こんなコースでアタックで2~3分ミスをしたら、いくら高速ナビゲーションでも相手もミスをしない限りしんどいだろう。

それにあわせ、大学ではじめた選手が4年間で(場合によっては2年生や3年生で主力)結果が求められるという事情。これらが短期で結果が出やすいオリエンテーリングが優先されてきて、高速ナビゲーションの優先度が低かった理由なのだろう。