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日曜日, 2月 17, 2008

競技者登録&加盟クラブ

競技者登録値上げに反対する人たちの一つの言い分は、競技者登録にメリットがないのに値上げは納得いかないというものである。また、資金難の解消として値上げする前にもっとすることがあるだろう、という意見もある。それも正当な意見かもしれない。

たとえば、競技者登録や加盟クラブをオリエンテーリングを楽しむ上で原則必須とすることもできる。

現在、オリエンテーリングは競技者登録をしていなくても、県協会に加盟しているクラブに所属していなくとも楽しむことはできる。しかし、オリエンテーリングが競技を行う上で地元との友好な関係を維持することが必須なスポーツである。環境保護もしくは凶悪事件に対する不安などで大会開催への風当たりが強くなっている中、競技者(広義の)全員を何かしら管理する方法がなくても良いのだろうか?

現状ではオリエンテーリングの練習会を勝手に行っている人たちの何かしらの行為により、テレインの利用が地権者達に拒否をされるような事態となっても、JOAはなんの制裁処置を取ることもできない。こういう状況のままでいいのだろうか。競技者登録や県協会加盟クラブへの所属を必須としたほうが良いのではないか。たとえば、公認大会への参加は競技者登録もしくは県協会に加盟するクラブの所属を必須とする。また、練習会の開催や大会の開催を県協会加盟クラブに限定しても良いかもしれない。

このような処置は、現在競技者登録をしていたり、クラブに加盟しているコアな人たちにとってはメリットと言えるのではないだろうか。オリエンテーリングを将来にわたり継続的に楽しめるようにコントロールするための一つのステップになるほかJOAを支えるための金銭的な負担がより広い層によって負担されることになる。クラブにとっては、新規の勧誘をしやすくなるかもしれない。

もちろん、新しくはじめる人たちが参加しにくくなるのは否めないので、何かしら対策は必要になるだろう。また、どうやっても一時登録の人たちはいるだろうから、仕組みは作らなくてはならない。
いずれにしろ、現在のように、競技者登録もせず、加盟クラブにも所属していない競技者を野放しにしておくのはリスク管理として問題ではなかろうか。

木曜日, 2月 14, 2008

OSJハコネ50K中止

箱根で行われたトレールラン大会OSJハコネ50kが中止になったらしい。箱根の登山道利用に関するガイドラインが新たに策定され、そのガイドラインのうち、「集団で歩道を利用する場合には一列歩行し、他の利用者や動植物には細心の注意を払いましょう。」という項目がひっかかったとのこと。パワースポーツのウェブを見る限り、大会開催に当たっては細心の注意を払っており、地元交渉も根強く行ったようだ。また、実際大会の開催時もトラブルはなかったという。それでいて、中止になってしまう。
ガイドラインを見ると、オリエンテーリングは、ガイドラインの10項目中、半分ぐらいは破ることになり、大会開催許可は降りることはなさそうだ。この件は国立公園内の話であるが、他の自治体で、箱根を参考に似たようなガイドラインを策定してもおかしくない。環境問題に敏感な自治体ほどそのような動きが出てくるかもしれない。皮肉なことに、「環境にやさしい」スポーツをうたうオリエンテーリングは、環境問題にまじめに取り組む自治体ほど、嫌われるかもしれない。

日曜日, 2月 10, 2008

オリエンテーリング大会運営会社

オリエンテーリングが大好きである。オリエンテーリングを仕事にしたい。できることなら、今までにない、すばらしい大会を開催し、今まで以上にオリエンテーリングを楽しんで欲しい。クラブで大会運営することもできるが、できたら、それで仕事として食っていきたい。そんな人たちが大会企画運営会社を設立したとする。
みんなが参加したくなるような大会を始める。最初は知名度や参加者を増やすために、参加費は比較的低く設定する。人気が出てきて、「当然出る」大会として確立されたら、価格の引き上げを図る。1000人ぐらいの参加者の大会だとする。この大会運営は3人でできるとする。3人でカバーできない部分はセルフサービスである。3人はこの大会運営のために地図調査などを含め6ヶ月かけるとする。この計算で、この仮の大会運営会社は年2回大人気の大会を開催するとする。つまり、年2回の大会からの収入を3人で分けて、それが所得となるということだ。大会の一般的な参加費はまあ、高いところでも5000円だろう。いくら人気な大会であっても、この価格だと「高すぎる」との声は多い。5000円だとすると、この会社の年間の売り上げは1000万円である。交通費、宿泊費のコストを全く考えなくとも、3人の所得は年333万である。仮に年4回この人気大会を開けたとしても、2000万円の売り上げである。
これじゃ、さすがに生活はできない。参加費を1万円ぐらいにする、スポンサーをつける、大会会場のショップからロイヤルティをもらう、参加者を倍増させるなどすれば、年間1億円ぐらいは目指せるのかもしれない。さすがにそこまでやるのには何年かかかるだろう。それまでは極貧状態である。成功するかも分からない。どうやってもうまくいかなくなり廃業せざるを得ないかもしれない。
そんな将来の見えない話にチャレンジする人はあまりいないだろう。しかも成功しても、やっと人並みの所得程度。
そこに、将来成功したらその利益から返してもらえればよいという、出資者が登場するとする。当面の資金として1億円を出すという。ようするにこの3人とその事業に投資するというのだ。それならば、その3人もチャレンジする気になるかもしれない。
投資する人は、成功すれば将来に収入を得る可能性がある。その分、お金を失うリスクを負う。廃業されれば1億円はパーである。一方、3人はやりたいことを実施するための当面の資金をもらえる。失敗しても、自分達のお金がなくなるわけではない。

でも、オリエンティアでそういうチャレンジ精神はいなさそうだし、ボランティアをよしとするオリエンテーリング界には歓迎されなさそう。特に、お金だけ出して成功したらその分お金をくれという出資者は嫌われそうだし。将来の株式上場のため、もしくは自分達が裕福になるために、利益拡大の努力をする3人は、強欲だといわれそうだし。とてもやりにくそうだ。

a way of living: 株価の下落に思う~まじめな話題~

a way of living: 株価の下落に思う~まじめな話題~

友人のブログに出ていた話題が気になり、こちらでちょっと書いてみる。

個人が経済、金融、資産運用の知識が必要かどうか。程度にもよるけど、「お金を増やしたい欲」というよりも自己防衛の観点から最低限の知識は身につけるべきじゃないかな。世の中、いい人(法人含む)ばかりでなく、とんでもない商品や話がごろごろしている。ねずみ講もその一つだが。欲があって、ひっかかるのはしょうがない。でも、生命保険や傷害保険、変動金利の住宅ローン(そもそも家を買うことが資産運用というだましかた)、固定金利の個人向け国債、銀行の10年固定金利の定期、元本確保型の金融商品といったものの多くは、人の将来への不安やら、資産価値に関する不安といった面につけ込む。これらの商品を買っていたほうが安心だと。
これらは、お金に対する価値観が高くない人ほどひっかかりやすいように勧められる。生命保険にはいっておけば万が一のことがあっても大丈夫、これで無駄にお金について考えなくてもよいですよ、と。普通預金にどんどんたまっていったら、簡単に使ってしまうかもしれないから、とりあえず長期の定期預金に入っておけばそういう心配がない、と。銀行預金は1000万円以上は元本保証がないから、つぶれたときのことを考えて、余分なお金はつぶれる心配のない国(国債)に預けた方がよいとか。

自己防衛という観点でもう一つ。「銀行に貯金をして、知識のある人よりも多少財産が目減りしたところで、それでいいのではないか?」とあるが、多少が問題だと思う。現在のデフレ状態はこのまま続くとは限らない。バブル崩壊でデフレになる前は数%のインフレが普通であった。3%ぐらいのインフレが持続したとしたら、10年後に物価は30数%上昇していて、仮に預金でほとんど金利がついていなければ、それだけ購買力が低下することになる。もちろん、インフレにならないかもしれないし、デフレが続くかもしれない。正直、10年、20年、ましてや、我々の世代が仕事をして、その付加価値により収入を得ることができなくなったときまでにどういう経済情勢になっているかはわからない。目先数年のことだったら、もちろん、預金してようがなにしてようがたいして変わらないかもしれない。でもそれが数十年先になると、大きな違いになる可能性が高い。

そうなっても個人の問題だろという見方もできる。しかし、たとえば、年金未加入の問題をみるとそうとも言えない。もちろん、多くの若者(若者でない人も)が国民年金未加入なのは、様々な理由がある。そもそも、国民年金は詐欺(社保庁は詐欺に近いが)だという見方もある。お金がないという理由もあるかもしれない。ただ、彼らが、「将来の備えはしないという価値観なんだ、将来のお金がなくても別にいいじゃん」という考えだったら?なんの備えもしない、無年金の人たちが数十年後の日本にあふれる。個人個人ではなく社会全体としてみると、それぞれが年金を適切に(ある程度の資産運用知識を持って)築くかどうかは、社会全体の話になるのだ。経済困窮者があふれるという意味で社会全体でコストが発生するのだ。

もちろん、政府が面倒を見るようそなえていれば安心かもしれない。それこそ、北欧の成熟した社会は将来に向け、国として投資活動を重要視している。
ノルウェーの有名なGovernment Pension Fundである。

http://www.norges-bank.no/Pages/Article____41137.aspx

最近、日本株投資も増やしており、新聞でもよく話題になる。現在の資金を株式投資(いろいろな国の)することで、将来に備えている。これも、国民が将来への不安なく、現在を様々な価値観を持ち生きることができる要因の一つなのでは。経済、金融に対する理解が多少でもあるからこそ、国民が、石油からの収入を運用にまわせるのだろう。同じ投資でも、将来のために道路や新幹線に投資する日本とは雲泥の差である。政府が将来に向けてしっかり備えていない以上、各人がなんとかするのが、ある面では社会的な責任なのではないか?みんながみんな、資産運用なんて知らないよ、お金なくてもなんとかなるさ、だと今の日本の政治や経済状況からみると、将来の世代は大変困ると思う。

一般市民がお金の運用を気にせず、様々な価値観を持てる経済構造を金融経済のプロが築くべきとの論調もあるかもしれないが、まあ、政治のプロ、医療(医薬品?)のプロ、食品のプロの任せっぱなしが、最近の不祥事である。日本人は得てしてプロが面倒なことはすべてやってくれるという風潮が非常に強い。例のお上意識である。残念ながら、その道のプロだからといって、任せっぱなしですべてうまくいくことはまずない。プロに委託する人がある程度の知識を持たないといけないのである。

ちなみに、だからといって、株価に一喜一憂していることがよいことだとは思わないし、デイトレーディングをみんなしろ(これは間違った資産運用!)だとか、お金を目的にしろだとかは思わない。お金は手段だからこそ、その活用/運用を過度に毛嫌いすることなく、目的実現のためへどのように適切に扱うかの知識を持つべきだと思う。目的実現に役に立つ手段の一つであることは間違いないのだから。